上野・寛永寺(天璋院篤姫の眠るお寺)

〜上野・寛永寺にて天璋院篤姫を偲びませんか〜

根本中堂、開山堂、旧本坊表門
寛永寺の建物内には入れないが、外からは根本中堂、徳川4代将軍家綱、5代将軍綱吉の霊廟の門、東照宮に隣接して柵越しに五重塔などを見ることが出来る。
●根本中堂
慶応四年(1868)旧寛永寺の根本中堂等が彰義隊の兵火に焼けて、寺は現在地に移り、明治12年(1879)埼玉県川越市の喜多院の本地堂を移したのがこの本堂で、寛永15年(1638)の建造という。
本尊の薬師如来三尊立像は、国重要文化財の指定を受けている秘仏である。
中尊も含め、3体とも立像である点が珍しく、中尊と両脇侍は別個に制作されたもので、中尊は滋賀県・石津寺から、両脇侍は山形県・立石寺から移されたもので、寛永寺の創建より古い、平安時代の作である。

●開山堂(両大師堂)
慈恵大師(良源)、慈眼大師(天海)を祀る。四代将軍出生に際し、安産祈願所となって以来、子授け大師として信仰を集める。

●旧本坊表門(国指定重要文化財)
寛永年間の建立。別名黒門。本坊は上野戦争で全焼し、随所に残る銃痕が戦禍を物語っている。


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